今日は本当に悲しい。今年一番ショックだった。
思わず、PS3のトルネで撮った「100分で名著(スピノザ エチカ)」の回を見直した。
人間に完全な自由はない。皆、何かに影響され生きている。昼飯で食べたラーメンだって、自分の意志で選んでいない。昨日の夜見たYouTuberの影響か、もしくは朝マルちゃん正麺のCMを見たからか、その影響でラーメンという選択に至っただけだ。人間は自ら選択なんてしない。「自分で決めた」と思い込んでいるだけだ。今朝見たネットニュースのバナー広告の内容を覚えていないように。外部からの影響を受けたことなんて忘れて。
スピノザは言う。
「自殺する人々は(中略)自己の本性と矛盾する外部の諸原因にまったく征服されるものである。」
人間は本来、自殺するように作られてはいない。何かしらの外部のパワー(自分の力より巨大な)に無力化させられて、死を強制させられてしまう。
僕はこのスピノザの考え(僕がどこまで理解しているか置いておいて)は正しいと思う。
自殺について考えるとき、良い悪い、強い弱い、運不運で片付けるのは限界がある。人はマウントをとり、権力で他人をコントロールし、洗脳しあっていると気付いたほうがいい。僕だって同じだ。水面下では命の取り合いが行われているんだ。物を売りつけたり、何かを負わせようと。
一般的に善悪とは、善は「やっていいこと」、悪は「やっちゃいけないこと」と認識されていると思う。この考え方は善悪を命令形でとらえ、善悪を規定する者の命令に従うということだ。善悪を規定するものの多くは、親、兄弟、友達、学校、会社、社会、法律、宗教などだ。人はそれらの命令下で「許され」ながら生きているといっても過言ではないのではなかろうか。
僕はスピノザの善悪論(活動能力増減)と同時に闇金ウシジマくんのセリフを思い出す。
「人にやっちゃいけない事なんてねぇ、罪を背負う覚悟があればな。」
もし、僕が誰かに活動能力を奪われ、命が取られそうになったのなら、先にそいつの命を取ろう。絶対に勝てない相手なら全力で逃げよう。地の果てまで。
そんな覚悟で生きていきたい。合掌。