こんにちは、配島です。
今日は日曜日でコロナのために自粛して引きこもり中です。
昨日の東京の感染者数は初めて100人を超えました。
昨日はネットで色々とコロナ関連の情報収集していて、「食あたり」ならぬ「情報あたり」を起こして、メンタルざわつき、気がそぞろ、散漫してしまった。
そんな中、地元の友達から久しぶり電話が来て、家で飲み会していると言う知らせにも参った。
かたや「緊急事態宣言を待ちわびている派」と「家で飲み会派」とのギャップを垣間見て、また少しメンタルの居場所を見失いそうになる。
アベノマスクへの怒りもあるし、楽観的な人達に対しての呆れる気持ちもあるし。
自分の性質上、ネガティブなニュースからの求心力に抗えていないと言うのがわかる。
自分が正しい情報にアクセス出来ているのかと言う確証もないのにネガティブなニュースばかりを注目してしまう。
インドでは104歳の人がコロナから回復したと言うニュースもあるのに。
一番不安な事は医療崩壊。
その次に物資や物流がいつまで正常に保たれるかということ。
まだどこかで、自分は感染しないんじゃ無いかと言う気持ちが片隅にある。良くないですね。
もちろん細心の注意を払ってるけど。
YouTubeで渋谷スクランブル交差点の定点カメラを見ながら、「人少ない」と思いながら、心の拠り所を探しています。
昼ごはんの前に下半身の筋トレをして、なんとか散漫していた気を落ち着かせることができました。
これからの事を考えると、今現在が大きな転換点になることは間違いがなさそうで、不思議と仕事や生活面では吹っ切れているところがある。
いま、足掻いてもしょうがないし。
これから人類みんなで生き方を模索して生きていかなきゃならなくなると思う。
それは、いままで偉そうにしていた文化人風をきどってマウントをとっていた人たちにだって平等に訪れると思う。
いる仕事、いらない仕事がはっきり分かれてくるだろうし、ネットで仕事が完結出来る人は今のところ食えるけど、ネットの世界でもウィルスの脅威はいつでもある。Googleのサーバーにミサイルでも撃てばネットの世界は終わるし。
要はこの世で唯一絶対って言える事は諸行無常だってこと。それは絶対そうなんだよ。
でも、人ってすぐに忘れちゃうんだよねぇ。
つまり、何が言いたいかっていうと、
僕は草を食ってでも生きるって事。