僕は整体師、一応某国家資格を持っている。なんでも治せるとは言わないが、それなりに体や手技の勉強を続けてきた。自分で言うのは何だけど腕にはそこそこ自信があったりする。今年の6月25日まで世田谷の経堂地区で整骨院を営んでいた。
今年の3月ごろコロナがメディアを騒がせ、自粛要請が発動され患者さんの数が激減した。そのころ僕も人に触れる職業なので、自主休診もしくは時短営業をするかどうか迷い、結局時短営業するこにした。
自粛中、患者さんがピタッと来なくなる中、数人の方が施術を受けたくて耐え切れず来院してくれる。いろいろな葛藤があった。きれいごとを言えば、「一人でも施術を求めてきてくれるなら、全力で対応しよう。」しかし、来るのは2~3人。自粛要請中はそんな日が続いた。その時はっきり、心が折れる音がした。「院をたたもう」
そして8年間、運営した整骨院をたたむことにした。
通ってくれていた、常連の患者さん、近所の応援してくれていた商店街の人たち、皆よそ者の僕を受け入れてくれた。バス旅行にも行った。一緒にお酒を飲みに行ったこともあった。辞めることを伝えると「寂しくなるね」とか「先生いなくなったらどこ行けばいいの?」とか色々な言葉をいただいて、その方達とお別れするのが辛いし、申し訳ない気持ちになった。てか、思い出がありすぎる。
しかし、もう背に腹は変えられない状況だった。
その時の選択肢は2つあった。無担保の融資を受けるか、潰すかだ。僕は迷わず後者を選んだ。
もし、無担保の融資を受けたとしよう。通常融資とは、設備に投資したり、人を雇うためとか、「売上を上げるため」に借りるのが一般的だと思う。しかし、このコロナの制度による融資はいくら無担保だといえ「固定費を支払うため」に使われることがほとんどだと思う。自宅が店舗で従業員の給料に使うならまだリスクが少ないが、店舗の維持に消えてしまう借金はリスクがでかすぎる。いまだに感染拡大が続いていて、ワクチンの研究も終わっていない。痛みの先延ばしにしかならないからだ。
別れはつらいが、致し方ない。
そして現在、世田谷を離れ、夫婦共々実家の大宮に越してきた。節約のため嫁さんの実家のハイエースを借りて世田谷~大宮間を10往復はしたと思う。喧嘩は10回以上した。嫁さんの仕事も激減していた(現在は仕事が増えつつある)。
実家に戻ってみて、引っ越しやら、片付けやら(2か月経つが未だ片付いていない)、開業準備(ミヤマエ整体院)やら忙しく日々が過ぎていく。「親と同居」にも不慣れだけど、今のところ何とか仲良くやっている。親戚とお隣さんにも挨拶に行ったり。
今思うと、店舗も借りて、住まいも借りて、開業資金も借りて、水道光熱費2件分払ってって、どんだけチャレンジャーやねん。毎月30万は固定費に吹っ飛んでた。そんなこと8年もやってたのね。
今後、稼いだお金の大半は、家賃がない分、整体と健康の研究に投入していきたい。
大宮の皆様、よろぴくね。